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十二進法

何の前触れも突拍子もなく、「十二進法」という言葉はおかしいと思った。
「十二進法」とは、0 から数えて十二個の数字で一桁が構成されるもの。でもこの説明上の「十二個」という部分からして、まず十進法の定義が認知されている前提があった上でなければ成り立たない言葉で、名詞としての「十二進法」も矛盾のある言葉だと思った。一桁繰り上がるところの数を常に 10、「十」とするなら、「十進法」はいいとして、「十二進法」は言葉としておかしい。

数学的によくある十二進法の表し方は

0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, a, b

ということらしい。英語圏、外国語圏ならこれでいい。
これを日本語として書いてみる。

〇、一、二、三、四、五、六、七、八、九、英、美

ケツのふたつは便宜上充てた漢字。「九」までと違う字ならなんでもいいはず。
もっと極端な漢字を使った方がおもしろい。

〇、一、二、三、四、五、六、七、八、九、花、魚

はな、さかな、と読むと仮定。
ここで言いたいのは、十二進法がこのような文字で構成された場合、定義の名前としては「十二進法」ではなく「美進法」や「魚進法」と呼ぶのが正しい、はず、だということ。「魚進法」では、『魚』(b)の次が『十』で、『十花(じゅうはな)』(1a)、『十魚(じゅうさかな)』(1b)の次が『二十』となり、『百』の前は『魚十魚(さかなじゅうさかな)』(bb)となる。以降、『千』の前は『魚百魚十魚(さかなひゃく・さかなじゅう・さかな)』、『万』の前は『魚千魚百魚十魚(さかなせん・さかなひゃく・さかなじゅう・さかな)』と続いていく。

「十二進法」は言葉としておかしい。・・・だから何? いや、だから、正しい表現を探ってみたらおもしろいんじゃないかな、と考えたまでのこと。『花』や『魚』を使ったこの馬鹿馬鹿しさに辿り着いた時、いいもん見つけたと思った。
しかし「魚進法」という言葉もまた同じように矛盾を孕んでいる。「a」、「b」、または「花」、「魚」の数字が定義され、定義者以外の人間にも認知されていなければ成り立たない。
「十二進法」とは、「十進法」があった上でなければ成り立たない言葉。しかしながら「十進法」の世界において「十二進法」を説明するためには、十進法的に「十二」と言わざるを得ない。例え「花」や「魚」が定義されたとしても、それらが世間的に認知されない限りは「魚進法」と言って通じることもない。
或いは、この「魚」の次が「十」となる十二進法の場合は、「魚進法」=「十進法」と呼ぶべきなのか。


さらに厳密には「二進法」、「十進法」も矛盾した言葉だという。「二進法」は 0 と 1、「十進法」は 0 〜 9 の数字しか使わないため、にも関わらず「二」や「十」という言葉で定義するのはおかしい、といったようなことが昔から指摘されてはいるらしい(※要出典)。それもそうだと思った。

算用数字で、二進法は

0, 1, 10, 11, 100, 101, 110, 111, 1000, 1001, 1010, 1011, 1100

と数えていくらしい。ここに 2 は出てこない。にも関わらず「二進法」。
a、b に置き換えると

a, b, ba, bb, baa, bab, bba, bbb, baaa, baab, baba, babb, bbaa

この数え方を「c 進法」と呼ぶようなもの。
日本語でもっと極端に適当に、0 を「目」、1 を「木」とすると

目、木、木目、木木、木目目、木目木、木木目、木木木、木目目目

この数え方を「犬進法」とか呼ぶようなもの。
それにしても言葉の矛盾はともかく、ものすごい速さでゲシュタルト崩壊してわけがわからなくなって可笑しい。桁が上がる前に「林」とか「森」が出てきそうだな、それなら「目」じゃなくて「日」か「口」を使った方がもっとおもしろいかな。いやそれもう数字の考え方じゃないな。


・・・なんてことを夜中、寝る直前に思いついて、考え続けたらおかしくて、笑ってしばらく眠れなくなった。ふつうこんなもん高校生ぐらいで思いつくことだろうに、倍以上の歳になってやんの。
というか、時計を考えてみれば、1 〜 12 の数え方の「十二進法」で成立しているんだから、べつにおかしくもなんともない。おかしいのはおまえのあたま。