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好きなゲーム、好きになったゲームでも、やり込んでいるうちにそのゲーム本来の最終目的地よりも途中の寄り道作業が楽しくなってきて、その楽しさに慣れるとだんだんと何が楽しいのか分からなくなってきて、何の目的でやっているのかわからなくなってきて、最終目的地は噂や情報によるとあのへんだろうとわかっていつつも、そこに行けるかどうか自分の実力ではあやしい、いや行けそうだとしてもそれのなにがおもしろいんだろう、みたいな気分になってきて・・・、いやそういうことにして飽きたことを認めたくないのか、なんなのか。
ゲームってもんはどんなゲームであろうときっと、勝ち抜くこと、クリアすることが目的なのであって、つまりやっている側がどう思おうとも目的を見失おうともおもしろさがわからなくなろうとも飽きてしまおうとも、完パケできあがったゲームに限って言えば常に最終目的は定まっている。プレイし続けようがやめようがクリアすることが目的ということで変わらない。
そういう観点において、その過程における本来のゲーム性とは別に存在するストーリーとはなんなのか。それはきっと、攻略し難いポイントのひとつに過ぎないのではないか。ストーリーがつまらないからやり続ける気にならない、というのはゲームの進行上に設定された障害のひとつなのではないか。当然それは制作者が意図して入れた障害ではないけれど、すべての、いや飽きっぽいゲームプレイヤーがゲームに対峙した場合には不可抗力的に、誰の手にもよらず入れられてしまう障害。制作者が入れたものではないから、必ずしも同類の他プレイヤーにも攻略対象のポイントとして立ち塞がるものではない。それどころか立ち塞がられた場合に攻略のしかたはプレイヤーごとに異なるもの。その多くは一生攻略できない、というかしようとも思わないに違いない。

まあそんなわけで、ストーリーがつまらなさすぎてやる気を失い、最終的にそのゲームに何を求めていたのかどうしたかったのかがわからなくなってしばらく放っているゲームがあるが、突き詰めれば答えは単純。クリアすることが目的。遊んで、クリアしたかった。だからそこに立ち塞がった障害たるストーリーについては、我慢して眺めて次に進むのを待つしかない。それが唯一の攻略法。
と心得たところで、しかしやっぱりやる気にはならないから、つまりそのゲームにおけるラスボスは他でもない、自分の気力であるという当たり前のことに気づいた先日。
こんなのを書き連ねる間に脇でそのつまらないストーリーを流しておけば先に進められるものを。それでも尚、その流し作業に手をつけることさえもやる気にならないってことは、たぶんもうやらないなトラベラー。