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ゴブリンスレイヤー

2018 年放送。全12話+総集編1話の全13回。
剣と魔法で冒険者や勇者がモンスターと戦う世界。ゴブリンは下等モンスターと侮られがちだが、なめてかかる初級冒険者や良民には大敵ともなりうる小鬼。
冒険者ギルドからのゴブリン討伐依頼に上級冒険者は耳を貸さないが、そんな中でゴブリン討伐のみを執拗に続ける銀等級者(だいぶつよい)がいた。人呼んでゴブリンスレイヤー。そいつと、仲間になった神官少女、エルフ、ドワーフリザードマンたちがゴブリン退治をしてまわる話。

ゴブリンスレイヤー -GOBLIN'S CROWN-」
本年公開された同作の短編 OVA 、60 分。
同じくゴブリンスレイヤー一行が、雪山にあるゴブリンの巣の討伐にて行方不明となった女剣士パーティーの捜索をきっかけに、強敵ゴブリンパラディン率いる雪の砦の軍勢ゴブリンと対決する。


異世界転生・転移ものかと思ったらそういう前提はない。ファンタジー世界のみの、しかもわりと小さな集落を中心とした規模の狭いところでの話。魔王的な世界を滅ぼさんとする大ボスは別にいて、それには別の力のある勇者パーティー(なぜか全員女)が立ち向かっていて、本作の主人公はそんな世界の行く末を左右するような戦いには関わらず、興味すら示さない。それよりも身近にある脅威、魔王の支配と関係してかしないでか、野放しに蠢くゴブリン、それだけを敵と見なす。
時の政府、嘘と隠蔽と改竄と、汚職に腐肺した政権、政治家、あと世界的な大規模テロとか、戦争行為とか。そんなことよりも隣近所で無差別殺人や略奪窃盗でも起これば、否が応にも誰もが肌身に迫る恐怖に抗おうとする。遠くの大より近くの小、ゴキブリ一匹にさえ怯えるもの。それが庶民感情。
この作品のテーマがそんなことを謳っているかどうかは知らないが、この主人公ゴブリンスレイヤーの行動原理、ひとが馬鹿にするのも厭わず己の目的第一に戦い続ける気持ちはわかる気がした。

全体的には「盾の勇者の成り上がり」に似ていると思った。盾の勇者の方が原作発表は先行だがアニメ化は後発らしい。どっちがどっちを真似たとかあろうがなかろうがどうでもいいとして、似ているけども同じだからつまらないということはなかった。
異世界転生系ではないしゲームベースのファンタジー世界でもないので、ゲームっぽいステータス値をなんのかんの言うような台詞もなければ UI 表示みたいな演出もない。対ゴブリンに特化した知識を持つ以外に特別な能力も秀でた点もないゴブリンスレイヤーが、時に押され傷つき、仲間と協力したりなし崩し的に救われたりしながら、下等なりにもピンキリなゴブリンにガッツで向かっていく様が、まっすぐ実直な感じでよかった。
また魔法使い、魔道士系の者が使う魔法や術も、魔力とか MP とか描き方次第でいくらでも誤魔化して使いまくれるものではなく、術とは「神から授かった奇跡」とされておりそれを一人が発動できる回数はわずか3回とか制限が厳しく、使った回数をこまめに確認しながら戦うのが、妙に生々しくてよかった。

主人公ゴブリンスレイヤー。こいつに個人としての名前はない。だけではなく、キャストクレジットを見ると登場キャラクターの誰にも個人を識別する名前はなく、人物名はすべて役職名か続柄みたいになっていて可笑しかった。名付けを重要視していた転スラとは真逆と言っていい。
中でもゴブリンスレイヤーに対する仲間4人からの呼び方がひどい。「ゴブリンスレイヤーさん」、「オルクボルグ」、「カミキリマル」、「小鬼殺し」。それぞれ種族が違うとはいえ、この統一感のなさはなに。ワンシーンの会話の中でこの四つの呼び名が一人に向けて連続で投げ掛けられ、それに誰も突っ込まず、声を掛けられた本人もそれが普通のように言葉を返す。それが毎回のようにある。要するにそういう世界なんだろうが、誰か少しぐらい不思議がれよ。

主人公ゴブリンスレイヤー。無愛想なこいつに台詞は少ない。「ああ」、「そうか」、「そういうことも、あるか」。小津調か笠智衆かというくらいの淡々とした受け答え。なんなら梅原裕一郎のボイスサンプルを毎回使い回しても成立するくらい、全話を通しても台詞のパターンは大半決まっており声のテンションも8~9割変わらない。
もしかしたら、固有の名前を呼び合うことがないことから考えても、大半のキャラクターが同じ声優の別作品で発したボイスを切り貼りコラージュして会話が成り立つところもあったのでは。杉田智和なんて普段からこのリザードマンの古風な口調をふざけて使っていそうだし。
しかしこの 2018 年時点で考えても第一線主役級の声優たちが脇役にも揃っていて、声優陣は豪華だった。

あと気になったのは、毎回の OP に入る時の、入った直後の、OP 曲のイントロが鳴り出すまでの間。ストリングスか何か白玉系の音が10秒くらいかけてフェードインしてきてメインの音が鳴り出す。この10秒の沈黙に近い間が、すごいな、挑戦的だなと思った。OP 曲本編もそこいらのファンタジー冒険者モノと一線を画す重いものだったし。
それと、何話だか忘れたが、ゴブリンスレイヤーが瀕死になって終わる回。毒気感知のために連れてきたカナリアが鳥籠でうろちょろ、そのカナリアの目玉のアップの中に倒れたゴブリンスレイヤーを仲間が囲む様が写るカット。カナリアのまばたき以外、眼に写ったものに動きのないそのカットを1分くらい続けるだけで終わるというのが、すごいというかなんというか、やりすぎっつうかそれは何がしたいんだとまで思った。半端に尺が余ったのを乱暴な演出でごまかしたようにさえ思えた。
調べたら、テレビ放送版ではカナリアの目のところでエンドロールだったらしい。だから配信版でそのあとに通常 ED が付いているのが不自然であるらしい。なるほど。もしかしたら万一、何か見落とし読み取れなかった意図があるのかと思ったが、なかったようでほっとした。

こんな演出する監督:尾崎隆晴ってだれだっけと調べたら、大好きな「少女終末旅行」の監督だった。なるほど BGM の加減、会話や劇としてのテンポの押し引き、光と影の使い方なんかに同じ監督らしい感触が、あったような気がしないでもない。
そういえば少女終末旅行の BGM でも初っぱなからエンヤ風の荘厳なような音を流して、のっけから耳目を掴んでくる演出をしていたっけ。エンドクレジットの流し方、縦書きにしたりというのも同じくあったな。