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神様になった日

全 12 話。
ある夏の日、平凡な男子高校生・成神陽太の前に突然現れた幼女ひな。「神」を自称し、予知能力などを披露する不思議な幼女は、以来なぜか成神家に居付くようになる。陽太の幼馴染みの美少女や親友、内気な妹、両親らも巻き込みながら、陽太はひなに言われるまま様々な出来事を巻き起こし、彼らは刺激に満ちたにぎやかな夏を過ごす。
ある時、陽太とひなはひなの両親のもとを訪ねる。そこで明かされたのは、ひなが実は世界でも稀な難病の患者であるということだった。ひなが元気でいる姿が信じられないという両親を突っぱねて、再び楽しい夏休みに戻っていく陽太だったが、彼らには過酷な運命が待ち受けていた、・・・といった話。

正直なところ、各話雑感で書いていた通り、前半は全然駄目だった。合わんわこれ、と。「泣けるアニメ」を原作者が自称している時点で、むしろそんなもん泣くかよ感動もくそもあるかよ、と反抗心バリバリだった。
アニメは好きだけどたくさん観る気はない。なるべく少量、好みに合う良い作品だけを観たい*1。合わないと感じたら切り捨てたい。だから否定から入りがち。この作品でまず否定したのは前半にたっぷり仕込まれている笑いの要素だった。ひとつも合わない。笑えない。邪魔。野球、ラーメン、んで麻雀回で爆笑できるような視聴者向けの作品か、と。そんなくだらんもんをやりたい話なのか、と。
これらは全部計算のもとに作られたものであったけども、観ている側はどこまで考え尽くされているのか知りようがない。個人的には「Charlotte」と同じ制作陣だからという一点のみの信用でその前半のつまらなさを耐えて観ていたと思う。

なんでそんなつまらない夏を積み重ねたのか。
9話『神殺しの日』でひなが陽太の前から居なくなってやっと意味がわかる。続く10話以降、「楽しかった夏休み」の思い出が強調される。他愛ないエピソードの積み重ね、寒い笑いと空回りする熱い演出、そんなひと夏バカ騒ぎの思い出。「泣けるアニメ」を原作者自身が敢えて宣伝し続けたのも、この思い出=陽太にとって大切なひな、を強調したいがためだった。観る人によってはつまらないと見られてもいいんだろう。個々人の『楽しかった思い出』なんて第三者にとってはつまらなかったりするもの。
むしろこのアニメの見方としては、「彼らの楽しかった夏休み」がつまらなかったからこそ、ひなを失った時の回想において空虚さが強調されたとも言える。そこまでの意図かどうか知らないけど、自分はそういう解釈をし、その9話10話で納得できて、この作品の見方を考え直した。

残る11話12話はとても丁寧だと思った。「Charlotte」のように尺足らず言葉足らずと感じさせるような駆け足展開もなく、振り返ればつまらない笑いで賑やかしてきた1話からずっと丁寧だったとすら思えた。
一部、あれ伏線じゃなかったのか?と変に記憶に残る気になった点もあったけども、最後は鈴木少年に一切触れず終わったけども、そういう無駄は省いて語りたいことだけを残したということだろう。陽太とひなの話としてはきれいに終わったと思った。

「泣けるアニメ」を謳うところへの反抗心は消えなかったけども、終盤に変貌したひなの姿はちょっと目頭にくるものがあった。主役の花江夏樹佐倉綾音の芝居がよかったのもあり。全体振り返っても、多少つまらない部分でも観続けていられたのはこの二人がよかったからだろうな。というかこの二人に弱いのかも。

久々に評価できる P.A.WORKS 作品となったけども、ピーエーと言うより麻枝准作品なので、単純にピーエー再評価、見直した、とはならないな。

*1:嘘ではない。気持ちの上ではそう。結果的にたくさん観る時だってある。