BINTA

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安達としまむら

全 12 話。
地方都市周辺のありふれた高校に通う二人の少女、安達と島村。同じクラスの二人は登校はするもののそれぞれに授業をサボりがちで、ある日の体育の授業中、いつも通り安達が体育館2階の卓球台脇で時間を潰しているところに島村が現れて知り合い、以来度々連れ添うようになる。
元来一人を好む安達と、友人は多いが深い付き合いを避ける島村。他愛ないやりとりを通してお互いを友達と呼べる関係になった二人だったが、安達は次第に島村に対して友達以上の感情を抱くようになり、島村はそんな安達の挙動に何かを感じ取ってはいたが・・・、といった話。

思春期の女子高校生を描いた話ではあるけれども、成人後の人間関係でも無い話ではないとも思う。後半は同性愛的な話になっていくのでその限りではないけども、言ってしまえばそこも安達目線を女々しい男子目線に置き換えれば同性愛に限られた話でもないという見方もできなくもない。
とにかく扱っているテーマ、安達としまむらが交わす会話とそれぞれの心中モノローグにおける言葉は常に繊細で微妙で、時に大人でも判断しづらいような、難しいというかなんというか、何と言うか。

友人関係を築くことも保つことも全くできない叩き壊すことをむしろ好みがちな自分のような人間がこれ以上何かを語れるような作品ではなかった。特にストーリーに関してはいくらか書くことが出てくることは出てくるけども、何を書いても嘘臭く寒くなる。雑感で書いてきたようにどうでもいいところを見て本筋と関係ないこと言うのが関の山。

自称宇宙人の幼女、ヤシロのことに触れないわけにはいかないか。
一人だけ発光する姿、動けば鱗粉みたいのが舞うエフェクト、今何百歳だの寿命が何億歳だのという台詞、いずれも自称を否定しがたい不可思議要素。
個人的には何の意味もないキャラだと解釈し、結果正解だったけども、存在するということは当然本来は何か意味があるんだろう。原作になら。この全 12 話では特に必要性を語られることはなかった。無理矢理意味付けを考えることもできなくはないけど、なんとなく野暮でしかない気がする。

結果、おもしろかったけども、どこもかしこも感想にしづらい。こういうところに何かを書き記す意味の無い作品なのかも。こんな文章書いたり読んだりするくらなら原作読めという。もしくはリアルでそれなりに仲の良い友達と観て、何を思ったかを語り合うのがいいんじゃないかと。そんな人間が居ればな。

声優。鬼頭明里伊藤美来
どちらも人気のひとだろうけど特別の印象がない。禰豆子ってまともに喋ってなかったし、五等分の三女って囁き系だったし。その程度の記憶。で、たぶんこのやや田舎っ子な今時女子高生の配役に相応しいのは特別な声優ではなかったんだろう。名前は売れていてもふつうの女の子の声に合うアニメ声優。そんな二人だったんじゃないかと。
沼倉愛美上田麗奈茅野愛衣ほか、芝居だけなら脇を固めるひとたちの方がおもしろかった。