角倉志三夫のサバイバル生活、終章。
135日以降。
木工スキルが上がり、弓矢を作り、
黒曜石のナイフを作り、
なんか彫り、
などしたが、如何せんメンタルは全く復調せず時間を浪費し、嵐も頻繁で外作業や外出をしては風に遮られ、食糧の賄い作業に終止する日も多く、明るい未来は描けないまま生活に疲弊していくばかり。
とにかく解決の糸口を、何か新しいものを求めて幾度か火山の周辺をうろついていた。
そんなある日の昼下がりだった。
それは不慮の事故。
久々に訪れた晴れの日、太陽の暑さに神経が鈍ったか、いや精神の限界か、不注意と油断が招いたことだった。彼自身が最後に思い浮かべたことはただ「疲れ果てた」というそれだけだった。
調査団が遺体を発見したのは火山の火口から離れた場所であり、四肢の一部は付近に生息する大トカゲによって死後に食いちぎられたらしき欠損が見られた。死に顔には目から流れた涙らしき跡が熱によって焼き付き、悔しみとも微笑みともとれるような表情で固まっていたという。
遺体発見現場の火山付近から数キロ離れた海岸、彼が住処としたらしき場所には、幾度もの修復の跡が見られるボロボロの小屋、大量の石や枝木や用途不明の瓦礫が並べられた小規模の囲いが二ヵ所あり、調査団には一見してゴミ置き場だと判断されかけたが、一方には「作業場」もう一方には「物置き」という文字がそれぞれ入口の木に彫られ、それなりに生活上必要な場所であっただろうことが窺え、亡くなる直前までほうきで掃除していたらしき跡も確認できた。
小屋の前の大きな石のひとつには、別の小石で付けたと思しき夥しい数の刻印のような傷のようなものが見られ、その数は 150 あった。調査の結果、それは桜花舞上三夫が失踪した日から彼の死亡推定日までの日数とほぼ一致する数であった。
傷の多くは◯をかたどっていたが、97 番目からは「✓」のようにただチェックしただけのものに変わり、120 番目に当たるであろう部分に大きく✕印を打った後は適当に殴っただけのものとなり、最後の 150 辺りでは意図的に付けたものかどうかすら確認しづらいかすり傷となっていた。
小屋の中にも少量の物があり、多くは作業用資材と判断されたが一つだけ、ヤシの実の殻が枕元に転がっていたのが不審がられた。特徴的にナイフで削った跡があり、それは見ようによってはヒトの顔のようであり、「長引く無人島暮らしの孤独をコレで紛らわせていたのでは」と調査団の一部学者は推察した。が、これがマスコミ報道されるや、テレビのワイドショーで「馬鹿げている」と有名タレントが発言したのをきっかけに世間ではその説は一蹴され、数日もすると話題は桜花舞上家のスキャンダルネタに移行し、真相は謎のまま忘れられた。
角倉志家は子息三兄弟全員を謎の無人島で失くした悲劇の一家として一時注目を浴びたが、不運に同情される一方、自業自得の馬鹿兄弟などと罵られる向きもあり、三夫の死後、遺族はマスコミ取材等々を一切拒否。
調査団が去った後の無人島も、ほとんどは三夫が遺したまま打ち捨てられ、一年もするとその名が世に語られることはなくなった。
完