BINTA

BOOTSFIGHT IN THE AIR

夢見る宇宙に夢中

過日、HEATH、KAN と、それなりに驚いた。
少しショックも。しかし一報知ったその時ではなく、じわじわと。


ヒース。
エックスは好きだった。旧ツイッターではなく。
アルバム「Jealousy」の時にハマって、それなりに CD を揃えて、「ART OF LIFE」、「Tears」までは買った。その辺りで趣味が変わって、エックスジャパンの活動もド田舎には伝わりづらい感じになって、追わなくなった。
ヒースの印象は、よくわからない人だった。クイーンでいうジョン・ディーコン。不謹慎なことを書き連ねそうなので、以上。合掌。



カン。
「野球選手が夢だった」だけ持っている。他は真野恵里菜の初期シングルぐらいしか知らない。"愛は勝つ" 好き。"けやき通りが色づく頃" 好き。"君が好き胸が痛い" 好き。"乙女の祈り" 好き。合掌。
"乙女の祈り" は "愛は勝つ" と曲構成が似ている気がすると発売当時に思った気がする。




といった方々を挿み、本題、再びバクチク。

相変わらずスポティファイでディスコグラフィを少しずつ一作につき何周か聴いたりしているのだが、ここのところ "夢見る宇宙" にハマってしまってそこから進まない。アルバムじゃなくそのタイトル曲、一曲をリピートし続けている。

このバクチク全試聴を始める前にアマプラでバンドの映画「バクチク現象」全2篇を観た。たしかその中で "夢見る宇宙" を演奏するシーンがあったんじゃなかったか。または、バクチク公式ユーチューブチャンネルでライブ BD のトレイラーを観た中にあったんだったか。
とにかくそういった中で聴いたのが頭に残っていたらしく、数日前に朝目覚めた時に急に脳内に曲が流れた。「夢見る宇宙に夢中」という歌詞も覚えていたのですぐに曲名がわかった。それで聴いたら気に入ってしまった。わけもわからずちょっと涙ぐんだり。
何度も聴いていたら歌詞の意味がなんとなくわかってきて、涙ぐむ感覚もそのせいかと思った。


「夢見る宇宙」っていうのは要するに、現世から届かない世界だろう。
歌詞の中に「ぼく」とか「きみ」とか出てくる。恐らく片方はその届かないところに行ってしまって、或いは届かない場所の人で、もう一方はその人を強く想っている。そして悲しんでいる。
その人には夢の中でだけ逢える。これ以上はなんとも言葉にしづらいが、概ねそんな解釈だろう。

届かないところ、というと、今の場合、やはり櫻井敦司が行ってしまったあっちの世界と想起してしまう。しかしその件を抜きにして考えるなら、手の届かないロックスターとその人を想うファンの関係性とも捉えられなくもない。この曲を聴きながら夢の中でなら指と指が触れ合う。でも「舞い踊る君、幻」。
何にしても今のバクチクファンにとってこんなに悲痛な曲もないなと思った。

open.spotify.com


リリース当時のインタビューを探して読んだ。
その当時 2012 年、前年の東日本大震災の被災者のことから発想した歌詞だそうで、なるほどと納得。自分の解釈も遠からず間違っていないか。

『別れ、さよならの向こう側にはまだ何かあるんだよ、という“嘘”、ですね。』
『夢だったらなんでもありだよ、という。包み込むように、“そういうのがあるから、大丈夫だよ”と言いたかったんです。』

BARKS - 2012.9.18

『その子のお母さんは津波に流されて亡くなられてしまってるんですけども。具体的に言っちゃうと、夢を見て、さよならの向こう側に行けば、愛しい人とも逢える……ざっくり言うと、そんな感じですね。』

CD Journal - 2012/09/21


夢を見れば逢える、という優しい嘘。
でも目が覚めるとその人がいない現実。優しい反面、夢と言ってしまっているのが残酷。しかも今現在、その言葉を歌い囁いてくるのは夢のさよならの向こうのその人本人というのがまたきつい。メロディーもコード進行からして泣いていて、ギターも咽ぶような音で、リズムは手の届かない少し早足で、全部が歌詞を煽ってきて、とても良い。曲も歌も良すぎて泣けない。意外と泣けない。ファンじゃないからか。ただ繰り返し聴いてしまう。
バクチクで一番好きな曲、これ。今。






年末に開催されるというライブ「バクチク現象」。
なんとなくそこで解散発表するんじゃないかと思っている。解散という言葉は使わないにしても事実上解散。それを宣言するならここしかないというタイミングではないかと。ここで言わず半ば無理矢理にでも続けていくのは、あまりかっこいいバンドとは思えないかも。

クイーンを例に挙げて、ゲストボーカルを迎えて続けるパターンを考える人もいるようだ。過去曲はそれでいいだろうが、ゲストが歌った新曲でも「BUCK-TICK の新曲」になるのか。認められるのか。メンバーが宣言してしまえば認めないもクソもないが。

hide や ZARD の例にならい、欠けたパートを遺された音源で補うというパターンもある。しかしそれも過去曲に限られる。結局新曲ができないなら活動を続けても、どうなんだと思ってしまう。

リンキンパークはボーカルの死後、クイーンに倣って多数のシンガーをゲストボーカルに迎えたトリビュートライブを行った後は、バンドとしての活動はほぼ停止状態にある。解散も何も明言せず、ただ周年アニバーサリーに過去作のリイシューとか未発表音源を出したりとか、それくらい。
意外とそれが最も批判の少ない継続方法かもしれない。


美しく幕を引くなら今がいい。有終の美は今じゃないか。
なんて、日々そんなことを考えながら聴いている。