BINTA

BOOTSFIGHT IN THE AIR

フランダースの犬

昨年末に観たが、そのテレビ放映を録画したのを先月からおよそ一ヶ月かけて全話観直した。
終盤の十話、やはり落涙率高い。ジェハンじいさんが死ぬ回とラスト三話は嗚咽漏らし号泣。五十話分を踏まえた上での悲しさ辛さが押し寄せてくる。総集編や劇場版ではこの重みは無い。あと、ラストへ向けての伏線やネタ振りが序盤から随所に窺えるところがあったりして興味深かった。
エンディング曲「どこまでも歩こう」の最後『♪いきがきれても あるこうね』という歌詞は「息切れしながらきつくても歩こうね」という意味ではなく、「息が絶えても = あの世でもいっしょに歩こうね」というまさに最終回、大ラストのあの様を示唆したものだったんだなあ、とか、パトラッシュがコゼツの金貨袋を見つけた場所の小さな像の小屋は、第一話でおじいさんが破損を見つけて直したものだったのか、とか。なんの意味があるシーンだったのかが最後にわかる構成がうまい。最後のアロアが悲痛な絶叫をする村境の橋も、中盤の回、金物屋に連れて行かれたパトラッシュを探しに日暮れ時に一人でアントワープに行こうとするネロを追ってアロアがいっしょに行こうとした時、ネロに「遅くなるから来ないで」と言われて、悲しげにネロの背中を見送った場所なのだった。そしてまた、最終回、今度はもう二度と追えないし戻ってこない同じ背中を思って、の絶叫。
他にも、絵画コンクールでネロを負かしたエリート少年ステファン・キースリンガーくんも結構序盤、画材屋で登場しており、ネロが一枚も買えない白い紙をごっそり買っていき身分の違いを知らしめている。
など。
共通性のあるような事象を自分がこじつけただけで、実際制作スタッフがどこまで計算して結びつけた伏線かわからないけれど。或いは序盤に適当に配置した出来事や人物を最後に適当に面白半分に持ってきただけなのかもしれないけれど。アロアの橋の件なんて完全に自分の考えすぎなんだろうけど、とにかく、すごくよくできた作品だなあ、と改めて思った。