BINTA

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幼稚。

あのアニメは幼稚でつまらない、などと最近何度か書いていたが、ふと思うに、そう書いた作品以外のものも実質出来については変わらないかもしれない。なろう系と呼ばれるファンタジー異世界転生モノなどは幼稚。と言われれば幼稚と捉えられるところはある。むしろそう考える人が多いのか。コメディ成分の少ない作品ほど大人っぽいとされることは多いはず。しかし幼稚だと断罪される作品でも、観るひとによってはそうは感じないこともあるはず。いや、捉え方の問題を言いたいわけじゃない。
アニメを観る上で、アニメに限らなくてもいいけど、自分が既にその作品の視聴対象推奨年齢の枠には入らないと思われるおっさんであるにも関わらず、その作品を楽しめてしまうその感覚を、おっさんの自分は幼稚だとは思いたくない、認めたくない。だから好んで観られるアニメには、作品には、自分の感性が幼稚だと思わせないでほしい、自分が幼稚だと気づかせないでほしい。めくるめく展開で、強烈に心を揺さぶる演出で、深く考えさせる台詞で、鳥肌立つ胸を打つ演技で、ごまかしてほしい。根幹にあるかもしれない幼稚さを、端々に滲み出そうな幼稚さを、25分間かき消し続けてほしい。気にさせないでほしい。


おっさんだって子供だアニメを観るのが何が悪いか。アニメは子供向けの映像ではない。おっさんが観るに相応しい作品もたくさんある。幼稚なものもあるが、そんな玉石混淆、アニメに限ったことではない。本来そのような言い方も正しい。正しいはず。だが世間は違う。世間の目を気にするわけじゃないが、気にする必要はないが、気にしたってしょうがないし観たいものは恥じながらも観るに決まっているが、何と言うのが適切か、自分本来のおっさんが自分の中の子供を許さないような、逆に自分の中の子供に自分本来のおっさんが笑われるのが嫌、というような感覚。自分の中の子供に、大人になれよと背中を蹴られている感じ。自分本来のおっさんは幼稚で結構だと居直り虚勢を張る感じ。そのどちらにも嫌気がさす。
十年前には古い白黒映画を好む趣味があった。それはそれは大人びていたというか、歳相応悪くない趣味だったと思う。が、一方で「おまえはそんなに大人を気取れるような大人か?」という不釣り合い、分不相応な感覚もあった。アニメを観るようになったのは、映画趣味が一段落した頃。ガンダムイデオンを幼少期以来に見直して初めて作品内容を理解。その後スペースダンディ等で作画や演出に興味を持ち始め、というタイミングで SHIROBAKO が出てきた。以後今に至る。
アニメが好きなわけではない、好める映像作品を求め続けて現代最新作品にも目を向けてみた結果、それはアニメだった、まともに観ていられる最新の映像作品はアニメにしかなかった。というのが自分がアニメを観る理由であり、自分の幼稚さへの言い訳。客観的に見れば、その好める映像作品を探す過程で、多くのひとにとっては大人向けとされる幼稚でないと考えられるタイプの作品を突っぱねて除外しているはずなので、要するにやはり幼稚は自分のセンスや感覚に内在しているわけだ。例えばこうしていつも無闇に長々書き連ねる文章も、口語としては普段使わないような語調で色々書いてはいるが、それが大人らしいか幼稚か、結局は自分の感覚ひとつ。大人らしい文章である必要はないが。

アニメ、映像作品を観ていて幼稚に感じる点は、具体的に挙げようと思えばいくらか書き出せるとは思うが、書き出したところでそれらが万人にとって幼稚と捉えられる点かというとそうでもないはずで。自分にとっては、台詞の間も考えずにテンポだけを重視して雰囲気カッコいい風に見せる作品は幼稚に感じるし、ひとによっては徒に伸ばされた間は無駄で冗長でしかなく不要なのにそれで大人向けを気取っているような作品の方がよっぽど幼稚だとか思われたりもするだろう。完全に子供向けの作品を「ここは深い」などと切り取って拡大解釈して「大人でも見れる」などと謳うものだってあるし。やはり捉え方の問題に行き着いてしまう。

幼稚って結局なんなのか、と突き詰めると、究極には「良い」や「悪い」の言い方の違い、表現の違いでしかない気がしてきた。もちろん「幼稚」本来の幼い、拙いという意味も込めた上での良し悪しではあるけども。幼稚幼稚とたまたま何度か連続して書いてみたらば、おまえ自身の方がよっぽど幼稚だろうと自己批判の感覚が伴い、自分が幼稚なのに他人の作品に対して「幼稚だ」などと批評できないから今後はそんな言葉使うまいとか思って、ここしばらくもやもやしたものがあったので、このようにしたためてみた。