BINTA

BOOTSFIGHT IN THE AIR

塵言2

今週のお題「おとなになったら」



子供の頃、親を含めた大人たちをどう見ていたか。そんなもんよくはっきりとは覚えていない。漠然と、自分に味方する者はいない、嫌なもの、と感じていたことは間違いないと思う。物心ついた時から既にして荒んでいたのだろう。そういう環境だったと言っていいだろう。通信簿には決まって「協調性がない」と書かれていたという。幼くして性格のねじ曲がった奴だと自覚していたところもある。行く先々でよく仲間はずれにされた。が、「みんなが仲間はずれにしてくるのではない。自分が他全員を仲間はずししているのだ。」と強固に思っていた。実際そうしていた意識もあった。

そんな子だった。厄介だったろう。それでわかりやすく当時でいう不良にでもなれば、非行にでも走れば大人たちとしても対処しやすかったろう。しかし歳を重ねるごとにいい子であるよそ行きの顔を強調することを覚えた。強調と言っても微笑み愛想よくではなく、単に目立たないようじっと黙るように心がけただけ。それだけで「大人しい良い子」と言われる。言う人も内心では「厄介な子」という印象を持ったに違いない。だが人の親の前でそうは言えないからお世辞として大人しい子と褒める。そういうところまで想像を巡らす、やはり厄介な子だった。

大人になったら何になりたい?
思いつかなかった。だから適当にその時好きだった趣味の延長、絵描きとかプラモデル屋さんとかそんなことを渋々述べた。
十代の頃には、二十歳過ぎたらすぐ死ぬだろうと考えていた。自殺もよかろうさ、と。
二十歳を超える頃には自殺願望を口外することは憚られるとわかり、滅多に言わないようにし、また同時に自殺など無理だと思うようにもなった。が、常に一刻も早く死が訪れればいい、今夜寝たら二度と目覚めなければいいと思っていた。以後今尚それは思い続けている。

思い描いていた大人の理想像などない。なかった。
どうでもよかった。
そして結果どうでもいい人間になり、ろくでもない日々を過ごしている。
はたから見れば駄目な大人の典型だろうが、自分としては何も間違っていないとは思う。自分が選ぶべき道を選び、なるべくしてなった、現時点ではそれなりにまともな大人になっていると思う。
ただこの現代日本の社会にそぐわない、馴染めないだけ。
社会の爪弾き。いや、こちらが社会全体を爪弾いているのだ。